忍者ブログ

ブログ Gのyume

Gゲージの軽便鉄道や森林鉄道など自作日本型鉄道模型を中心にしています。DCCサウンドにも取り組んでみました。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

0系新幹線現役の頃の新大阪駅 そしてかわいらしい彼女は....


昭和46年の夏の新大阪駅。傷心のわたしはほとんどあてもなく信州方面に向かったのであった。

当時の名古屋にはスカ色の電車がいた。中央西線の茶色い客車に乗る。デッキに出ると心地よい風がはいってくる。なぜかこのときの帰り道だったろうか新宿から中央線に乗った記憶がある。東京に出ていたようだ。若いころはあまり好きでないところだったのだけれど.....。

それはちょうど長野方面に向かう普通電車の車掌室あたりでぼーっと外を眺めていたときのことであった。私はグリーンのマドラステェックのシャツに冴えないリュック姿であった。な、なんとそこにかわいいそしてちょっと理知的な女子高生らしきひとが「これからどこに行くのですか?」と声をかけてきたのであった。彼女はたしか研修授業で塩山にゆくという。

爽やかな風の入ってくる電車内でしばし楽しい時を過ごせたのを思い出す。あのときの彼女は今どこでどうしているのであろうか......。
PR

昭和46年の夏、蒸気たちもまだたくさん働いている時代だった

このあたりにはたくさんのD51がいるようだった。田舎者の私にはいつもでかいD51に圧倒された。

 この旅は何の目的であったのか....。もしかして好きな彼女と別れてひとりふらっと北に向かった時のような気がする。志賀高原あたりの風景が記憶に残っている....。妙に光が眩しかった。     



警戒色塗装の入った罐が入れ替え作業中である。後方には旧塗色のキハやDLが見える。


名古屋発の長野方面に向かう中央西線鈍行列車の車窓から撮った写真。これはC12だろう。どこの駅か忘れてしまった。木曽路の木材の香りがする駅が続く....。私の乗る列車も茶色か紺色かオハ?何だったのだろうか。もちろん走行中もデッキのドアは開けっぱなし。木々の香りがいっぱいの路線である。昭和46年8月のことだった。

上松を通ったのに.....

塩尻駅を重連で力強く出発するD51.昭和46年8月の暑い日でした。若かったこともあって当時大阪近郊に住んでいた私は夜行列車のピーという汽笛を聞くとどこか遠くに旅したくなっていました。このときの記憶は定かではなくなりつつあるのですが安物のコンパクトカメラをザックに入れひとりほとんど鈍行で信州あたりをめざし出かけたのです。名古屋から各停で木曽路の中のんびり旅したのです。大きめのヤードのある駅にはC12などが忙しく入れ替え作業する風景がみられましたし。C11,12そして86しかほとんど見たことのない田舎育ちのものにとってはD51のその巨体に感動したのでした。小淵沢で進入してくるC56をここぞとばかりシャッターを押したのですがなんとレンズキャップが....!#$%&。一眼レフじゃない悲しさでした。そこで今になって悔やまれることがあるのです。木曽福島、藪原などなどその他いろいろ印象に残っているのですが上松が無い。王滝森林鉄道は昭和50年廃線だったはず。当時はまだ駅構内や鬼渕橋にも列車が見られたはず。ああ残念!このときは軽便にも林鉄にも目覚めていなかったのですから仕方ないことなのですが.....。小海線のポニーを追っかけて何枚かの写真を撮ったこと、キハ20に乗って八ヶ岳をのぞんだこと、懐かしく思い出されます。

カレンダー

03 2018/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

[06/23 Bigboy]
[11/24 bigboy]
[07/05 Bigboy]
[05/17 星利一]

プロフィール

HN:
gensansfantasy
性別:
男性
職業:
人間
趣味:
鉄道、音楽、空想
自己紹介:
60代の遅れてやってきた「鉄」

バーコード

ブログ内検索

P R